こんにちは、おのPです。
このブログをご覧いただきありがとうございます。
北イタリアで夫と息子とワンコと暮らしています。イタリア在住10年目。
アメリカ遊学5-6年
初めての外国はアメリカ・ミシガン州でした。19歳のとき、語学留学、その後コミュニティカレッジに通いました。
英語は大好きなのに学校の成績はいまいちな私が、はるか地平線まで続くトウモロコシ畑を見たいという理由で渡米。
費用をできるだけ抑えるために、資料請求から申し込み、滞在先の手配をすべて自分でやりました。そのせいか、初めてアメリカの地に降り立った時、思わずスキップしている自分がいました。
父親とは、日本の短大を終わらせると約束していたので1年で帰国、その後就職もしますが3年ほどして再度アメリカへ。
今度は観光関連の専門学校に通いながら日系旅行会社でアルバイト、その後友人と個人輸出業をします。
29歳、あと一年で30歳のとき、ふと「骨をうずめるなら日本だな」と思い立ち帰国。
通訳技術を死ぬ気で勉強
帰国後、派遣で社内通訳翻訳をしながら、私の人生これではいかんと通訳技術を猛勉強。
そのおかげか中部地方の自動車メーカーに就職し、職務は翻訳・通訳。ここで特許翻訳を学びます。
どちらかというと通訳が好きでした。
現場のイキイキした雰囲気、緊張感。
そして何より終わった後にクライアントから握手やハグをしていただいたときの達成感は最高でした。
前日まで資料を読み込んだがんばりが報われる瞬間です。
充実した日々を送っていたある日、離れて暮らす父が肺がんで余命6カ月と診断されました。
母は私が14歳の時に事故で亡くなっています。
一人暮らしの父。初めのころは平日は妹たち、週末は私が通って看病しました。
そして最後の3か月は私が介護休暇をとり介護します。結局1年間強の闘病生活でした。
65歳、まだ若かった。けれど、父は私たちに「どうよく病み、どうよく死ぬか」と身をもって示してくれたと、この時の経験を感謝しています。「どうよく病み、どうよく死ぬか」というのは私の大好きな日野原重明先生の言葉で「生老病死ーどうよく生き、どうよく老い、どうよく病み、どうよく死ぬか」の一部です。
当時結婚していましたが父が亡くなったのとほぼ同時期に離婚しました。
第二の人生 バラ色のはずが・・・
生きるとは?どうよく生きるか、どうよく病むか、どうよく老いるか?父を看病しながら考えました。
そしてどんな人生だったとしても、一瞬一瞬を大切に、今を生きようというのがその時に感じたこと。母の人生も父の人生も短かったけれど今を生きていてくれていたらそれでよし、と。
私にとっては第二の人生のはじまりです。
しばらくして、出張で日本に来ていた今のイタリア人の夫と出会い、彼が出張で日本に来るときは必ず会うようになりました。
最終的には会社を退職しベルギーの彼のところに押しかけました。
男の子を授かり日本で産んで、息子がまだ1か月半の時にベルギーに戻ります。その後、夫の度重なる転職でベルギーには1年間→イタリア・ピエモンテ州3年→トスカーナ州3年→ピエモンテ州にもどって3年、とすでに引越しを3回。
夫は夜が遅く国内外への出張も頻繁で忙しい人です。イタリアは意外と英語が通じない国で、ほぼ一人で家事や育児に夢中の10年でした。つたないイタリア語でやっとお友達になれたのに、引越しで離れることになり、新たに一からやり直しの繰り返し。トスカーナにいるときは、晴れた青い空とはうらはらに、うつっぽくなりました。
再び戻ってきたピエモンテ州でも、毎日同じ日常は続きます。
40代半ばから夜の2時くらいに目が覚め、それからしばらく眠れない日がほぼ毎日になります。眠れない夜は何となく不安。でも家族もいるし、夫は一生懸命働いてくれているし、雨風しのげる家もある。何も文句を言うこともない恵まれた生活なのに何か不安。家事や育児に夢中だったけれど、このままでいいのかな私、と思い始めました。
そんなある日・・・
いつものように息子を小学校に送ってからワンコといつもの川沿いの小道を散歩していると、ある男性に話しかけられました。彼も犬を連れています。よくある飼い主どうしのたわいもないお話しが始まります。そういえば、以前にも一回この場所で会ったことがあったな。彼はアルゼンチン人で奥さんはイタリア人、5歳の娘さんもいたんだっけ。しばらくして、彼が、私にこう聞きました。
彼「ぼくは今度妻と娘と一緒に遅ればせながらの新婚旅行で日本に行くのですが、その前に日本語を勉強したいと思います。もしよかったら教えてくれませんか。」
私「はぁ」
彼「その代わりですが、僕はトレーニングジムでトレーナーをしているので、その代わりにジムでトレーニングしませんか?」
私「はぁ」
最近体力が落ちているのを感じて何とかしなければと思っていた私はこの話にちょっと興味がわきました。でも、何回かあっただけの人に「はい、いいですよ」と言うのもどうかと躊躇もしました。
最終的にもしお互いに違うなと思ったらやめましょう、ということで電話番号を交換して次にジムに行く日を決め別れました。
***
その日から1年半たちました。週に2回、私がロドリゴに日本語を教えて、その後ジムで他の生徒さんたちとエクセサイズをする習慣は続いています。
数か月たったころ、体重が3㎏すっと落ちました。
半年たったころ、睡眠の質にも気を付けるようになり、今までと環境はまったく変わっていないのに何の根拠もなく「やればできる」気がし始めます。
まずは自分の体を鍛えて体調を整えること、そうすると心まで前向きになれると体験したのです。
よくよく見てみたら私の周りに幸せはいっぱいある。家族を大事にしながら毎日の暮らしをちょっと豊かにちょっとハッピーにする工夫はいっくらでもできる。自分の時間を大切にすることで周りにも優しくなれる。2020年からは「もっと本を読む!」と決めました。耳読で読書が加速して知的好奇心がますます高まっています。
なんとなく家事・育児・仕事に追われて自分を見失い、周りに合わせて行動しているだけと感じているこのブログを読んでくださる方が、さもない暮らしをちょっと豊かにちょっと楽しむきっかけを見つけてくれたら、とても幸せです。