息子に「世界中どこにいても幸せで、自分の強みを活かして目の前の人の幸せに貢献できる人」になってもらいたい、と
いろいろな骨太の子育て本を読み、実践している中で、
親である自分がどれだけ自分自身をゆるめられるかが鍵だ!と気付いちゃいました。
長い道のりでしたが、本をたくさん読んで、共通点に気づき、実践したり、内省したり…
そんな過程をお話しします。
息子が生まれた!生まれてくれてありがとう
41歳で初めての子どもでした。それはそれはうれしくて「生まれてくれてありがとう」という気持ちがどんなものか初めて体験しました。
2021年現在、息子は11歳。日々、あれこれ期待はするものの、基本「生きていてくれてありがとう」という想いは変わりません。
賢母になろうと泣きそうな自分を律して奮闘
子育てって何歳になっても、初めてのことなんですよね。
それを思い知ったのは、無事出産して、息子と初めて個室で2人きりで寝ていた時、息子が夜中に泣き出し、ほんとうにどうしたらいいのか途方に暮れた時です。
41歳のわたし、いっぱしの大人で社会経験も豊富なこのわたしが、赤ちゃんの世話もできないの?!って(笑)
「息子が泣いています。どうしたらいいかわからないので来てください」
と看護師さんに聞くのも申し訳なくて不甲斐ないし、たぶんそんなことで呼んだら怒られそうだし、あたふたしながら一人でなんとかしたのを覚えています。
そのマインドを引きずって、しかも、息子が生後1.5か月で渡欧し、でも夫は仕事で忙しい状態。
異国で孤育て状態の中、「立派で、正しくて、強くて、明るい母」になろうと奮闘してきました。
子育て書でよくきく共感やアクティブ・リスニング
『自分でできる子に育つ ほめ方 叱り方』では、アクティブ・リスニングとは
話し手に対して疑いや評価や説教することなく、耳、目、心で100%の注意を向け、無条件に聞き入れること
と書いてあります。親がアクティブ・リスニングすることで、
子どもは自分の話を批判されず理解してもらえていると感じ、自分で考える機会になるのだとか。
まさに、コーチングですね。
特に、怒り、恥ずかしさ、嫉妬や悲しさなどのネガティブ感情も否定されず受け止めることが重要です。なぜなら、注意深く話を聞いてもらい受け止めてもらえることで、自分の感情や問題に向き合い、自ら問題を解決できるようになるからです。
それまでの自分を振り返ると、
息子の言動を疑ったり、評価したり、アドバイスしたりしていました。
特に息子の怒りや、恥ずかしさ、悲しさなどネガティブ感情は
「そんなふうに考えなくてもいいよ」
「すぐに忘れるよ」
「そんなことない○○ちゃんはいい子だよ」
などと感情を否定しアドバイスしがち。
これはすべて彼のため「よかれと思って」していたことで、親として当然と思っていたのです。
こちらの『世界に通用する子どもの育て方』では、
子どもの自律性を育むため、
「出来事をよく観察し」
「まず気持ちに共感し、その気持ちを認め」(共感する)
「なぜそのことが大切なのか、合理的な理由を説明し」(説明する)
「圧力を最小限にした言い方や質問の仕方で伝え、選択の余地(自己決定)を与える」(自己決定)
というスキルが紹介されています。
しかも心理学分野で科学的エビデンスで証明されているとか。
これはやるしかありません。
共感やアクティブ・リスニングが意外とできない、と気付く
ところが、実践してみると、
「まず気持ちに共感し、その気持ちを認め」というステップをすっぽ抜かして、「説明」に入ることが多いことに気付きました。
なぜできないんだろう?と考えるうち、
ある日、自分にもやっていないからじゃないか?と思い始めます。
自分のネガティブ感情を受け入れる作業をやっていなかった
毛色の違う本に思うかもしれませんが『これからの男の子たちへ:「男らしさ」から自由になるためのレッスン』では繰り返し「有害な男らしさ」というキーワードがでてきます。
男子たるもの弱音を吐かず、社会的な成功と地位を積極的に追求し、危機的状況があって動じずにたくましく切り抜け、攻撃的で暴力的な態度をとることも含めて、社会の中で男らしさといわれている
ここで、ショックだったのが、単にこの「有害な男らしさ」が暴力や性差別的な言動につながるだけでなく、
弱みを開示できない「男らしさ」は女性と比べて男性の自殺率が高い背景要因でもある
ということでした。
「男らしく」、「男とはこうあるべき」と思うあまり、ネガティブ感情を否定し、弱みを見せられないのです。
これって、自分の立派な親にならなくちゃって思いすぎるあまり、ネガティブ感情にすべて蓋をして、弱みを見せたくない自分と同じじゃないのか?
男らしさが行き過ぎると「有害な男らしさ」になってついには我が身も滅ぼすように、
立派な母親が行き過ぎると「毒親」になって、子どもも自分も苦しめることになるかもしれない。
こちらの『「うん、そうだね」と女性部下に言ったら、「信頼される上司」になれた』の著者、玉居子さんはかつて、女性スタッフに「存在自体がパワハラ」と言われてしまいます。
読んでいる中で、背景にこの「有害な男らしさ」があったのではと感じました。
上司命令には絶対服従、休むことも手を抜くことも許さないと、業績やパフォーマンスを追求した結果、
女性スタッフとの関係が最悪になり、離職率が高く、コンサルティング会社のアンケート調査の結果、「あなたが変わらなければ、会社はダメになりますよ」と言われてしまうのです。
ここで玉居子さんがすばらしいのは、アンガーマネージメントやコーチングなど学び、自らを変化、成長させたことです。
その過程で、玉居子さんは
これらを実行していくことは、それまでの私の中にあった「男性(女性)はこうあるべきだ」「上司(部下)はこうあるべきだ」「組織とはこうあるべきだ」...ひいては「自分はこうあるべきだ」という固定観念=価値観との闘いでもあったので、実にしんどいものでした。
「こうあるべき」... わたしも固定観念で凝り固まっている!
では、玉居子さんは何をしたのか?
まず「自分を救うこと」とおっしゃいます。
この本では、具体的なスキルとして、ありのままの自分を受け止めてあげるセルフコンパッションが紹介されています。
条件付きの自尊心ではなく、セルフコンパッション
前出の『世界に通用する子どもの育て方』でも、セルフコンパッションの重要性が書かれています。
本当に必要なのは、自分への思いやりなのです。人は不完全であることが完全なのです。条件付き自尊心の原動力は、うまくできないと人から嫌われそうだとう「恐れ」です。でもセルフコンパッションの原動力は、自分や周りに対する「愛」です。自分が何かをするのは、恐れからなのか愛からなのか、考えてみたいものです。
この条件付きの自尊心というのは、人や世間と比べて自分は勝っているという自尊心です。
間違うこともある、「人は不完全であることが完全」とまるごと自分を受け入れる。
なるほど、「こうやって考えられれば楽だし、自由だな」と頭ではわかるのですが、
実は、この時点でもまだ「自分をどうやって満たすのか?」と思っていました。
セルフコンパッションってエステやマッサージにいったり、自分にご褒美をあげて満たすことと勘違いしていたのです。
「自分のことは後回しにしてくれて構わない」という気持ちもありました。
アドラーの自己受容
子どもの感情に共感して、そのままを受け入れるにはどうも自分へのセルフコンパッションが必要なのではと感じていたころ、友人のTwitterにこんな投稿が。
めちゃくちゃ心が楽になる考え方ですね😌
自己受容とは、良いも悪いも好きも嫌いも、コンプレックスでさえ認め、自分が自分を受け入れると言う考え方で、アドラー心理学でもこれを勧めています。人は、存在してるだけで価値がある。
それはあなたも、あなたのキライな人も平等なのです。 https://t.co/A05Pnw0xKC— ヨーヘイ@パン作り&自作石窯でピッツァを焼く3児の父🎗 (@youman_rt) May 31, 2021
アドラーは読んでいたのだけれど、どこにこの記述があったかな、と本を紹介してもらいます。それが
『もしアドラーが上司だったら』でした。
機能価値と存在価値をごちゃまぜにしない、ありのままの自分を受け入れる
ちょっと難しいですが、機能価値とは、目標達成を追求する営利企業に代表される機能共同体の中で基盤となる価値、
一方、存在価値は、存続や安心感を追求する地縁血縁関係に代表される価値共同体の基盤です。
わたしたちは、営利を目的とする社会に生きているので、やもすると機能価値がすべてと考えてしまいがち。
つまり、他人の評価で自分の存在価値が決まってしまうと思い込んで一喜一憂しているのです。
一方、機能価値は上下するものの、自分の存在価値は揺るがない、と分かれば心の平安が保てます。
本当は、学校や会社からの評価(機能価値)がなんであれ、存在価値が否定されるわけではないんですよね。
自分に置き換えれば、立派な母親でなくても、自分の存在価値が否定されるわけではないということになります。
先ほどの「条件付きの自尊心」は機能価値が満たされたときに感じる優越感なんだな、といろんなことがつながりました。
欠点も含めたありのままの自分を認めることを自己受容といい、それこそ勇気を持つということなのです。
自分をいかにゆるめられるか
そして、「セルフコンパッションや自己受容が鍵かもしれない」を「鍵だ!」と、とどめを刺してくれたのが、心理的安全なチームって、どうやってつくるの?の著者のMimiさんこと岸野道子さんと次世代ファミリーコーチングのファウンダーでもあるみぽりんの言葉でした。
家庭を心理的安全な場にしたいとこの本を読み、さらにこちらの子育て本要約チャンネルでシナリオライターも担当させていただいたご縁でお話しさせていただきました。
そして、ここ最近ずっと気になっていたセルフコンパッションや自己受容について、ズバリ質問させていただいたのです。
Mimiさん:自分は弱いのですと周りに言える状態であるというのが大切で、そして、自分でも「そういう時もあるさ」と受け入れる。みんな人間なんだし、そんなもんだよね、と思えて初めて、相手にも同じことができます。
みぽりん:Mimiさんは弱さの開示がきれいで、相手が役に立っていると感じさせてくれる。子どもの最大の喜びは、自分が役に立ってる、「ありがとう」と言われること... 弱さの開示は全体への貢献なのです。
確かに、わたしはとにかく子どもの頃から弱みを見せるのがとても苦手でした。先ほどのアドラーでいうと、弱みを見せることで自分の存在価値まで下がるという恐れがあったのです。
みぽりん:それぐらいわたしたちは汚れた教育環境の中で育ってきちゃって、批判こそ学びの場かな、なんて思ってしまう。ど根性でやってきたんだなーて。
でも、ほめほめの空気間の中で学びを深める、ってことをやり始めると、それこそが理想の環境だなということがわかるんですよね…
こちらの世界へようこそっていうか。
なかなか共感やセルフコンパッションが頭ではわかっても、腑に落ちるまでいかなかったのは、汚れた教育環境でど根性で育ってきてしまったからなんだ!
なまじ自分を追い込むことでようやくできるようになってきた自分の成功体験が邪魔をしていたのだ!!
「こちらの世界」では、好奇心や自己成長や人への貢献、つまり内側から湧き出るやりたい気持ちがモチベーションになって行動します。
そこには、非難、否定、指示、罰と報酬、ど根性、自己否定はありません。
息子の時代は、全世界がそうなってほしいと思わずにはいられません。
それにはまず、自分から
「自己否定こそ成功の秘訣」という固定観念を捨て、
自分の弱さを受け入れ、
自分の存在価値を満たしてあげること、つまり、自分をどれだけゆるめられるかなのです。
「勇気が満たされれば人は放っておいても努力する、内側から湧き出る動機で動く」とどれだけ信じられるかなのです。
自分に「生きていてくれてありがとう」って思ってる?
そうか!アドラーは「あなたはあなたのままで十分素晴らしい」と何もしなくても存在価値があることに気付くことと言っていて、
それって、
息子に「生きていてくれるだけで幸せ」って心底思うように、わたし自身もそう言ってあげればいいのでは?
息子に「生きていてくれてありがとう」って思うように、自分の存在を認めて、ダメな自分も含めて自分を受容すればいいのでは?
セルフコンパッションって何も自分にご褒美をあげることではなかったんですね。
これからは、息子への愛おしさそのままの温度で自分にも同じくらい、
「まーちゃん、生まれてきてくれてありがとう」(両親がわたしの幼少時代に呼んでいたあだ名で)
「まーちゃんが生きていてくれるだけで幸せ」
言ってあげたい。